カテゴリー「書籍・雑誌」の記事

カミュの「ペスト」を読む

あっちこっちの書評で紹介されている本も、たまに本当に自分的にヒットする本がある。

そして本当に、これは、今、読むべき本だと思うんだよね。

笑える部分は・・・皆無。

読んでいる途中に、
その本の書評を書く事はあまりない。
この本はなかなか読めないのです。
かなり速読な私でも一日10ページぐらいが限界。


毎日が、そうですね、
ペストの小説の中のようになっていますからね。
足踏みして日々を過ごす、友情も恋愛も中断する、
それ分かる!それ分かる!
がこんなにたくさん出てくると
ハイスピードで、筋だけを追うようには、
読めないのだ。


フィクションであってほしい、この現実が。
そう思って日々すごしているが、
フィクションではないらしい。
どんなにひどいニュースから目をそらそうと思っても、
やっぱりどこかでは、ひどいニュースに、
聞き耳をたてている自分がいるのだ。
「ペスト」にも同じようなことが書かれていて、
人間同じだなぁ~と思う。


享楽を、無節操に、享受して、消費する時代は終わって、
我々はどこにいくべきなんだぁ~
「ペスト」を読みながら考えている。
ようやく半分まで来た。
あと半分、読みながら考えていきたい。

諦めの日々も、心の持ちようによっては楽しめるんじゃないかと思いたい、

本を片手に。

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著者 : カミュ
新潮社
発売日 : 1969-11-03

 

カフカの「変身」が今読みたい。

今読んでいる本はカフカの「変身」である。

あの不条理極まりないお話が、

どうしてだか最近読みたくなった。

最近、

自分がザムザと同じような、

毒虫に変身したような気がしている。

小説と違い、

さらにおかしいのは、

毒虫に変身したのは、どうやら私だけではないようだ。

世の中すべての人、親しい友人や知人までが、

ある日突然に、毒虫に変身したらしいのだ。

毒虫同士では、互いに毒を発する為、

1m以内で直接に話すこともだめらしい。

唯一、

オンライン上では、

我々は毒虫ではなくなるらしい。

どうしたらいいのかよくわからない。

私は毒虫ではなく、

全く普通の健康で健全な人である。

にもかかわらず、

「私は自分が毒虫であることを認識しています」

という素振りをしなくてはならない。

そうしないと、昨今の社会ではまともな、

常識的な人間と認識されないらしい。

昨日まで正しいと思って信じていた当たり前や常識って、

何なんだろう・・・

それらはこんなに簡単に失われるものなんだ、

と知ってから「変身」を今読むと、

この本の世界は不気味で不条理だけど、

どこか滑稽。

うちらの今いる現実世界にソックリやん・・・と思う今日この頃。

カフカは深いですね。

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角川書店
発売日 : 2007-06-23

 

 

読んだ本「第2図書係補佐」(又吉直樹 著)

最近はあまり本を読むヒマがない。
こういう忙しい時って逆に寸暇を惜しんで何かしたくなりません?

主婦はコロナが始まってから忙しくて忙しくて・・・
もう既に小学生になったはずこどもたちですが、
ふたりともオムツをしていた時の生活に戻ったような気分で、この頃はすごしている。


でも忙しい時ほど本読んだり、勉強したり、ブログ書いたりしたくなるのも事実である。

ヒマだと人は意味不明な事で多忙になろうとしてしまう。

人間は怠惰にできている。
しかし、こんなふうに外出規制がかかって、

本当に自分がやりたいことを真剣に考えるヒマができると、
やっぱり、勉強とか、本読んだり、

自分にとって有意義なことをしたいと思うのは当然かもしれない。
だから一種の救いを求める行為だよね、本を読むってのは。

笑いや音楽と一緒かな。

その瞬間は痛みや直視するには苦しい現実を少しだけ忘れられる、から。

私はブックガイド的な本をたくさん読んできたほうかもしれない。

本が好きな人ほどこういう情報収集ってしますよね。

本の書評を新聞や雑誌から切り抜いて、自分の読みたいブックリストとしてストックしておいたり。

音楽CDのコンピレーションアルバムって私よく借りるんです。

BOOKガイド的な本を時々読むのは、たくさんの本を読みたいけど、読むヒマや手間を省略できるので、まあそういった音楽CDに近い意味で読みます。そこで出会った本もたまには読みますが、本当はサビの部分だけが繰り返し聴きたい、に近い。あ~私って怠惰だなアって思う。あんまり私、こだわりがない人間なもので。

っで、この又吉さんのブックガイドは、そうですね、

本のおいしいサビの部分すら出てこないかもしれない。

ここで紹介されている本たちは、刺身に添えたワザビか生姜漬けに近い扱いである。

これは又吉直樹さんが好きな人が読むと、超楽しい本ですね。

私は時々クスっと笑えて楽しかったです。

哲学者や読書家のインテリたちのブックガイドは、

内容がかっちかっちでイマイチおもしろくない。

正直、もっととふざけたブックガイドが私は欲しいのだ。

エンターテイメントとして、ブックガイドを読みたいのだァ!

そんな事を思って手にした本です。

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著者 : 又吉直樹
幻冬舎
発売日 : 2011-11-23

「ハ-バ-ドの人生を変える授業」は「人生を肯定的に考えるための本」

本をたくさんよんでいる。TVザッピングとほぼ同じ感覚で。

正直、今はココロに安心をもらえる本を求めている。

コロナ自粛で図書館も休みだから本を買うしかない。
4月がこんなに不安なのは何も今だからという訳でもない。ネットニュースで毎日亡くなった人の数や感染した人の数を数えて、不安をいたずらにつのらせてもどうにもならない。最近はあきらめの気持ちである。しょうがない、こんなにヒマだったら本でもよむか。そんな気持ちである。ひどい事が世界では起きている。そして私は元気である。まだあちらに行く気はない。このひどい世界にようやって適応しようか本をよみながら考えている。
そうか、今元気な私に感謝する、か。昨日と今日が何も変わっていないことに、感謝する。人にやさしくする。子どもを育てる。幸せな考え方をしてみる。全てが満たされているから人は幸せ、なのではない。例え不自由な生活であっても、幸せを見つけることはできる。春の風と日差しにゆれる木々を眺めて、深呼吸をして、軽く30分運動をしてみる。
それでコロナうつから解放されるのなら悪くない。最近ジムに全く行けないことで私は少し落ち込んでいた。でもこれからは少し、考え方や生活スタイルを変えていこうかと思う。あれこれ数えて落ち込むのではなく、何をやらないかを正しく選択できる自分の賢明さを認めてあげたい。
今、少しばかりサボることは、悪ではなく、全然、善、なのだと、
ハーバードにお墨付きをもらったような気がして私は少し安心する。 

タイトルは「ハーバードの人生を変える授業」ですが、「ハーバードの人生を肯定してくれる授業」の方が私はシックリきます。

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読んだ本;『猛威をふるう「ウイルス・感染症」にどう立ち向かうのか』河岡義裕・今井正樹 監修

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実にタイムリーな本です。
今季は我が家のこどもたちが予防接種を打ったのにインフルエンザA型、B型両方ともかかってしまった。そして世の中は連日の新型コロナウイルスのニュースの報道で、ややパニック状態というか、思考停止状態になりかかっている。薬局の棚からマスクが消え、私は手芸屋さんで買い込んだ二重ガーゼの布で、ミシンを踏んでマスク作りにいそしんで、不要不急の外出を控えている。もはや「正しい恐れ方」が何なのか全然、分からなくなってきている。

私事であるが、本書にも紹介されているSARSコロナウイルスが中国で発生した時、中国を旅行したことがある。京劇を観にいったが、マスク姿の人はまばらであった。ニュースで報道されている様子と、現地の実際の様子があまりに違う事を、大変不思議に思った記憶がある。まあ、さすがに家族を持った今となってはそんな無茶は出来ないですね。人込みを避けて、バランスの良い食事を心がけて、あまりストレスをためないようにする事で精一杯である。

最近のニュースは、事実と意見がこちゃまぜになって報道されているので、私は少々混乱している。本書はどちらかといえば、様々なウイルスに関する専門書に近いので、実生活に役に立つアイデアが満載されている訳ではない。例えば「インフルエンザに家族がかかったらマスクをはめさせて隔離された部屋で休ませる」など、理想だが一般家庭で実践できるかといえば無理である。うちの娘もゲホゲホと咳き込みながらインフルエンザ初日からリビングのソファーのTVの前を陣取ってママのそばにいつも以上にいたがるのだ。わたしも毎回感染しているかもしれないが、何とか気力と体力で乗り切っている。

本書には、これまでのウイルスの歴史や致死率、経過、様々なデータが豊富に掲載されている。人類は色々な困難を、多くの努力によって乗り越えてきている、ひどい事が起きてしまったからといってそのすばらしいことまで忘れる必要はない。個人的には、早くこの新型コロナウイルスパニックが収束するといいな、と願うばかりである。それには多くの人の努力と、・・・犠牲も、伴ってしまうのかもしれない。

風評被害とか偏見、ウイルス関連のいじめとか、そういう残念なニュースも気になるが、私がかつてOLをしていた時の社長はいつも「資源は有限、知恵は無限」そう言って我々にはっぱをかけてきた。いい言葉だと思う。医者でも研究者でもない私には、大した事は出来そうにない。今は人類の大いなる知恵は無限だと信じて、早く良い治療薬が出来るよう、祈るしかない。多分それは比較的早く実現するだろうと私は楽観的に信じている。

この本を読めば、多分そう確信できるはずである。

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五木寛之の「親鸞」を読んでみた。

長編小説「親鸞」を読んでみた。


私はエンタテイメント性を重視して本を選んでいる事が多いので、
宗教者の生き方を小説で読んでみようとはこれまであまり思わなかった。
でもこの「親鸞」に関して言えば、作者の創作がかなり入っているようで、
マジメな、神がかったエピソードばかりじゃない所がよかったですね。
親鸞、その周りの人、悪人も、善人も、
たくさんの人が同じように悩みながら、
迷いながら、生きて、死んでいく。
その様が描かれている。
かなり壮大なお話。
もともとは新聞の連載だったようですが、
ちょうどそのころの私は出産や引っ越しで大忙しの時期。
当時はこんなにゆっくり本を読むことは出来なかったことを
ふと思い出しました。
登場人物がたくさん出てきて、途中で改名したりもするので、
正直、最後の方はそもそも誰が誰だったのかが、
よく分からなくなり少々困りました。
でも、何とかストーリーの面白さに引きずられて、
最後まで読み切った感じである。

親鸞は歴史上の人物なのでカテゴリーとしては
歴史小説かと思って読み始めた。
でもただそれだけではなく、
派閥争い、ギャングの闘争的なものやら、
道ならぬ恋なんかも多少は含まれています。
ですからこれは、歴史を題材とした
エンタテイメント小説、
として楽しんでもよさそうです。

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著者 : 五木寛之
講談社
発売日 : 2017-07-23

 

 

知らないうちに新しくなってる!

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新しくなったんですね~ココログ画面。

私が春休みしているうちに。

使い方、えーっとどーなってんだァ。

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うちの娘に早速「令和」の書初めをしてもらいました。

この東海エリアでは桜は4月中旬でほとんど散ってしまいましたね。

「万葉集」が話題になっていてふと思いだしたことがある。

大学の授業で「万葉集」をとっていた。

だが、私が覚えているのは先生の雑談ばかりである。

先生は、熊のような風貌で活舌があまりよくない先生であったのだが、

彼女を追って先生が北海道のトラピスト修道院へ追っかけていった話しか、

残念な事に覚えていないのだ。

見た感じロマンチックには程遠い先生にも、そんなアオハルな時代があったとは・・・

それで覚えているんでしょうね、きっと。

先生の授業をもう少し真面目に聴いていれば、ここでうんちくも披露出来たというのに。

いや残念。

「万葉集」の授業で感銘を受けた生徒のなかには「万葉ツアー」に出かけたりしている、

スバラシイ学生などもいると先生から聞いた。

むろん私はそれには参加していない。

学生時代はイケメンハンターに忙しかったので、万葉ツアーに参加している暇など、

あるはずがない。

でもちょっとは参加しとけばよかったと今はやや後悔してますね。

 

 

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ありがとう、ドナルド・キーンさん

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最近ようやくあたたくなってきて、インフルエンザの猛威により全く身動きのとれなかった如月が過ぎる。ふ~、っと一息。花見シーズンももうすぐである。

所でドナルドと名のつく外国人といえば別の方の名前しか昨今はニュースにならないが、わたしにとってドナルドといえばやはりドナルド・キーン氏である。偉大なあの方がなくなられたとは。

リンク: ドナルド・キーンさん死去 96歳、日本文学海外に紹介:一面:中日新聞(CHUNICHI Web).

大学生の頃、あれはどんなタイトルだったか忘れましたが、ドナルド・キーン氏のかかれた日本文学に関する本がテキストだった。

英文で書かれた日本文学に関するテキストの解釈を、東大の先生が講義してくれました。その講義を理解するには英語と日本文学と両方の知識が必要だったので、私にとっては大変勉強になったし興味深かったと記憶しています。

国文学なんていう、最先端でも何でもない、金を稼ぐには最も不適切な学部にきてしまったなァと入学してから気づいたのであるが、時すでに遅し。

大学は暇を買いに来たのだと割り切るしかない、などとひねくれた考えで大学生活を送っていた私でありましたが、なかにはこうして好きな科目であったり、新しい知見を見出させてくれるような教授もいた。

いくら本が好きとはいえ、自分で本屋さんに行って、ぶらぶらとドナルド・キーン氏が書いた英文の日本文学に関する本を手にとります?絶対にとらない。だから大学って、単なる時間と金の無駄遣い・・・ではないと思います。

私が好きな日本文学の作家さんは、ドナルド・キーン氏と交流があって、それで作品を手にとったり、などいう事もあったと思う。だからドナルド・キーン氏の日本文学紹介は私のブック・ガイドみたいになっていた。安部公房を大学の卒論のタイトルに選んだのも何かそういった所がインスピレーションになったと感じている。・・・ただ、今にして振り返ると、俗な考えではあるが、ハルキ・ムラカミ氏を取り上げておいた方が、外国人の方との交流の際や、現在のブログインスピレーション&パフォーマンスをもう少々向上させる為には、役に立ったかも・・・などと思わないでもない。

いやいや、そういうやらしいことはあまり考えない方がよろしいのだ、きっと。

純粋な文学少女、永遠の処女のような気持ちで、ブログや読書はこれからも楽しんでいこうと思っている。

まさに日本文化や日本文学を心から愛してくださったドナルド・キーン氏のように。

ありがとう、ドナルド・キーンさん。

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「津軽」(太宰治 著)を読みながら春を待つ

このごろ寒すぎて春が待ち遠しい気分。太宰治の「津軽」は春待ちな本、というイメージではありませんが、書かれた時期は5月の春の時期なので冬の本ではない。長年勝手に雪国の冬の話だと決めつけて実は読んでいなかったのであります。

太宰治を読むと、やつは5回も女を道連れに自殺を図ったダメ男で、その暗黒の世界に読むだけで引きずり込まれてしまうような、そんな危険があるのではないかしら、と思っていたので教科書的な作品以外はあえて好んで読んではこなかったですね。

太宰治は今でも大変人気のある作家。なぜなんだろう・・・ダメなインテリに多くの女性は弱いことは、まあ確かです。いや、それだけじゃないでしょ~って、うん、そうですね。単調にダラダラと退屈な描写はしないですね。ビシッバシッとキレのよい文体が爽快。あ~何て語彙がないんだろ私。この「津軽」は人間失格系列の内容ではく、太宰目線での、故郷の風土記的な意味で書かれています。

キズ有りワケ有りのりんごだって、味はふつうのりんごと変わらず美味しい。私もスーパーでよく買っている。下らぬ偏見で名作を読まないのももったいないか。40代後半にもなって今更本一冊読んだところで、おそらくオバハンは何という影響も受けないであろう。「津軽」冒頭有名な書き出しの「ね、なぜ旅にでるの?」「苦しいからさ。」とは全く相いれない気分の私でありますが、一応読んでみる。

この本を読むと、青森方面に旅してみたくなります。春になったら太宰治の生家「斜陽館」行ってみるのもよいかもしれない。とはいえ名古屋方面から青森はフラリと気軽に行ける場所ではない。よって「太宰治と旅する津軽」というカラーのガイドブック的な本を片手に読み進めてバーチャルツアーを楽しむ。

太宰治がこの本で描きたかったのは、故郷にまつわる友人、知人、家族、家族同然の養母との交流という事が読んでいくと分かります。津軽も借景として描写はされていますがそんなに重きをおいているような雰囲気はしません。よどみない、勢いのいい文章やセリフで時にユーモラスに、素朴で時としてすこし過剰な津軽人が描写されています。そういう所はおもしろい。作品の最後の終わり方は風土記らしくないですが太宰らしい。

“ 私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。”

特徴ある書き方ですね、人間性がすごく出ているというか。冒頭よりも最後の言葉の方が私は好きです。人生は楽しいことやおもしろい事の連続というより、つらく苦しいことの方が圧倒的に多い。だから、弱い人が書いた、全然強くない、失敗だらけの不格好な生き様や小説は、救いになるのかもしれない。

太宰の紡ぎだした言葉は、雪の結晶のようにキラキラと今も輝いている。命のきらめきのように紡ぎだされた物語や言葉は、あたたかい手のひらにのせるとすぐに溶けて消えてしまいそうなはかさがあるが、心の中では消えずに降り積もって輝き続ける。

もう少し太宰治の作品、読んでみようかな、そう思いました。

新年のごあいさつが随分遅れてしまいましたが、牛年の女は、猪突猛進は苦手という事でお許し頂きたく思います、本年もよろしくお願いいたします。

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著者 : 太宰治
岩波書店
発売日 : 2004-08-19

著者 : 太宰治
新潮社
発売日 : 2009-09-26

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村山由佳の「放蕩記」を読む

著者 : 村山由佳
集英社
発売日 : 2014-11-20

村山由佳の小説は中毒になる。
困った事に最近はこの毒にやられてしまっている。
好きな作家の本は全部読みたくなってしまう。
他の作家の本に浮気しても、
やっぱりまた村山由佳の本を手に取ってしまっている。
困った困った・・・

作家に毒は必然。
作品としてトラウマを昇華させれば苦しさも美しい思い出になる。
だから書かずにはいられないのが本音なんじゃないかと思いながら読んだ。
毒を犯罪で昇華させるけしからぬ輩も世の中にはたくさんいる。

こうやって芸術や作品で復讐するのは、
私的にはアリだと思っている。

家族の形をミクロ的に見ていったらこんな形もあった。
家族ってマクロ的に見るとどこも同じように見えるけど、
実はそうではない。

家族にまつわる葛藤が主に描かれているが、
最後は救いのある、愛のある終わり方だと思います。
作家としてに資質を育んでくれた親には、
なんだかんだといいつつも、
感謝している事が伝わってきました。

半自伝的な小説、という事でこの作品は
セクシュアルな描写はかなり抑えて書いているように感じます。

タイトルを見て、
林芙美子の「放浪記」にちょっと寄せたのかなァ
なんて思いました。

単なるのほほんとしたファミリードラマ風に仕立て上げないのが、
村山由佳らしくていいですね。

良い作品や本や芸術には、必ず毒がある。

そして今回も毒にやられました~

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