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2018年12月

ありがとうもさよならも言えずに・・・


(c) .foto project

ひとり旅を楽しんでいた頃、旅先で何かとよくバイクのライダーに遭遇した。だが、私自身はバイクに乗りたいと思った事は一度もない。それはやはり幼友達をバイク事故で亡くしているからである。

私が彼女と友だちになったのは小学一年生の頃。ケタケタとよく笑う、元気な女の子だった。家が近所だったので、私たちはすぐに仲良しになった。それからいつもいっしょに遊んでいた。

彼女の家は少し複雑だった。“ある朝、目が覚めたらママが、バイバイって手を振って、妹を連れていなくなっちゃったんだ・・・”そんな話を公園で遊んでいる時にしてくれた。でも彼女はいつも底抜けに明るかった。

一度だけ、彼女の事を嫌いになりそうになった事がある。私が感動して彼女にも貸してあげた、ナイチンゲールの伝記のマンガ本の表紙が、ボロボロになって返って来た時。「あんなヤツ、もうキライだー!」と。

でも結局は許した。明日一緒に遊んでくれる友だちなら、子どもの私は何だってよかったのだ。

彼女はおうちで大変なことがあったのに、めげずに頑張っている、エライ(すごい)やつだ、子どもの頃は、勝手にそう思っていた。

中学生になっても 彼女はやはり仲のよい友だちのうちのひとりだった。お互いの生徒手帳に「友達の誓い」というものを書いて、それを放課時間に読みあったりもした。

しかし、中学二年生になってからクラスも別々になり、少し勉強が難しくなってくると、彼女の生活は荒れだした。私たちとも遊ばなくなってしまい、彼女は「不良グループ」と呼ばれるひとたちと一緒に遊ぶようになってしまっていた。あのよくケタケタと笑う、元気な彼女は、もう私の友だちではなくなってしまった。さびしいけど、仕方がない。

高校生になった頃に、「彼女がバイク事故で亡くなった」と別の友人から聞いた。しばらく彼女のことは、こうして進路も別々になってしまったし、勉強、勉強と追い立てられる日々のなかで、忘れてしまっていたが、さすがにショックを受けた。そしてようやく気づいた。彼女は私たち前では暗さなんか見せないように、明るく振る舞っていただけで、本当は強くなんかなかったんだなと。ママがバイバイと手を振って妹と家を出て行った時に、彼女の心は既に壊れてしまっていたんだなと。

彼女に、ありがとうも、さようならも言えなかった。

どんなにつらいことがあっても、彼女が死ぬ必要なんてなかったのに。彼女は親の勝手な都合で殺されたとしか思えないのだ、一応バイク事故死という事になっているが。

近所の男の子で、兄の友人もやはりバイク事故で早逝した。その家は両親が過保護で、買い与える必要のないものを買い与えてしまった。葬儀ではかっこよくバイクにまたがる男の子の写真が大きく飾られていて、その前で両親は号泣していた。

だからどちらかというと私は徒歩で、ゆっくり旅をするのが好きですね。若くして亡くなった友人たちの分も人生楽しんでやろうとどこかで少しは思っている・・・のかもしれない。

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「西郷どん」で思いだす20代南九州ひとり旅




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「西郷どん」を観ていると毎回ドーンとTV画面に桜島がうつる。だからどうしても思い出してしまうのである。南九州をひとり旅したのは1996年、22歳の春ですね。何であの時に九州をひとり旅してやろうと思い立ったのかよくわからない。でもヘンテコな若いエネルギーにあふれていた。恐らくそれらをもて余していたんであろうと思う。

まずは大阪からフェリーで宮崎に行き船中泊。そこからは指宿と桜島に宿を取って帰りは鹿児島から飛行機で帰る。それ以外ほとんどノープランです。行けばなんとかなるだろーっというテキトーな発想で行った旅。今考えるとあの頃は何て無謀で行動力があったんだろうと我ながらおそろしい気分。

船中で宮崎大の学生と知り合い、意気投合。宮崎のフェニックスやら鬼の洗濯岩と呼ばれる天然記念物やら宮崎大学を案内して頂いた思い出があります。

桜島のユースホステルにも泊りました。

ドイツ人2人とライダーの女性と同室だった。(以前に書いた関連のブログはコチラ)その大阪出身のよりこさんという女性ライダー、彼女はエレクトーン奏者だったんですけど、鹿児島観光で再度遭遇。行くところがみんなほとんど一緒だから被ります、どうしたって。鹿児島市立美術館でダリの絵を見た後(絵について以前に書いた関連のブログはコチラ)、西郷隆盛の銅像の前でたたずんでいたら、

「あれ~?」

「あら~?」

とよりこさんと再会。一緒にランチのおそばを食べた。よりこさんとはその後、霧島神社にも一緒に行き、写真では二人で仲良く映っている。正直あまり覚えがないのに手元に写真が残ってるから我々はどうやら二人で行ったらしいのだ。

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指宿では知覧の特攻記念館とか砂蒸し風呂とか行きましたね。池田湖のイッシーが出た場所もちらっとバスから見た。春だからあちこち花が咲いてきれいだった。長島美術館にも行った。鹿児島には観光用のバスがあってそれを使って、もちろん仙厳園も行きました。そこからは桜島が最高によく見えた。

指宿で同室になった女性2人組のひとりは、

「私は教員を十年やっていて青春がなかった、だから今大学で宮沢賢治を研究しとります!」

と勇ましく宣言していた。そうかそうか、それは分かったからアタシのベッドを勝手にアンタ達の洗濯物干し場にせんといてちょうだい、とのども元まで出かかったが、トウのたったおばはんたちのパワーに押し負けて言えなかった。いや~あの頃はどうにも若かったです、20代なんて赤ちゃんに近い存在ですからね。私はこんな恥じらいのないおばはんには、絶対なるまい、と決意した。しかし、時におばはんたちはいいことも言っていた。

「結婚なんて勢いでするもんよね~いろいろわかっちゃうと出来ないものね~あたしたちは飲み仲間がたくさんいて寂しくないからいいんだけどさ。(北風ぴゅー)」

とか。おばはんたちはまだ若くて未来ある私のことがうらやましかったのかもしれない。

今の私はそのトウのたったおばはんよりはるかに年上になってしまっている。

旅、特に若い頃にする旅は人生の宝物になる。トウのたったおばはんは分別がつきすぎている。自由になるお金も若い頃よりは持っているので、ヘンテコな人と同室になる船舶やらユースホステルもあまり使わない。でもそれって安全だけどおもしろくないのだ。ヘンテコな人との出会いは人生を結構豊かにしてくれたのではと今は思う。

「西郷どん」を観ながら、そういった青春の記憶をいつもなぞっている。鹿児島の駅にはさつま揚げのにおいがどこかしこ漂っていた。あれを買って食べたなあとか。旅先で書いて出しそびれた絵葉書・・・五感で覚えている事って忘れないもですね。

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村山由佳の「放蕩記」を読む

著者 : 村山由佳
集英社
発売日 : 2014-11-20

村山由佳の小説は中毒になる。
困った事に最近はこの毒にやられてしまっている。
好きな作家の本は全部読みたくなってしまう。
他の作家の本に浮気しても、
やっぱりまた村山由佳の本を手に取ってしまっている。
困った困った・・・

作家に毒は必然。
作品としてトラウマを昇華させれば苦しさも美しい思い出になる。
だから書かずにはいられないのが本音なんじゃないかと思いながら読んだ。
毒を犯罪で昇華させるけしからぬ輩も世の中にはたくさんいる。

こうやって芸術や作品で復讐するのは、
私的にはアリだと思っている。

家族の形をミクロ的に見ていったらこんな形もあった。
家族ってマクロ的に見るとどこも同じように見えるけど、
実はそうではない。

家族にまつわる葛藤が主に描かれているが、
最後は救いのある、愛のある終わり方だと思います。
作家としてに資質を育んでくれた親には、
なんだかんだといいつつも、
感謝している事が伝わってきました。

半自伝的な小説、という事でこの作品は
セクシュアルな描写はかなり抑えて書いているように感じます。

タイトルを見て、
林芙美子の「放浪記」にちょっと寄せたのかなァ
なんて思いました。

単なるのほほんとしたファミリードラマ風に仕立て上げないのが、
村山由佳らしくていいですね。

良い作品や本や芸術には、必ず毒がある。

そして今回も毒にやられました~

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